1ヶ月半あって長いように感じた大学の夏休みは あっ という間に終わってしまった。それから大学が再開し3ヶ月が経ち、地球は温暖化の影響を受け千葉の木々は遅らせながらも青々しい緑から黄色に変わり、冬に突入した。寒い。
さて
その間僕はブログに全く手付かずだった訳だけど(笑)とりあえずは3週間半の海外での貴重な体験を振り返っていきたいと思う。

f:id:shubackpack:20161229235906j:plain


   8月24日 深夜、気づけば夏休みに入ってから3週間が過ぎていた。
思い返すとそれまでの3週間は適当にフランス語文法、国際関係、世界史を勉強し、ベッドの上で長編小説を読み、そのまま昼寝をするか、塾でバイトをし、ショートタームのインターンシップに行き、たまに友達と遊ぶ。
大学生の夏休みってそんなもんだろうなぁ そう思いながらもその生活にどこか物足りなさを感じていた。
でも と僕は机の上に置いてある一枚のEチケットを手に取った
9 26 NRT 1900 SGN2305 ベトナム航空
SGN1000 KUL1300

フフフ、やった
ついに明日か
マレーシア、シンガポール、どんな国なんだろう。

今の生活からの脱却
方法はたくさんあるけど日本の外に出て、異なる環境である新しいものをみたり体験する、様々な人に会う。それは机上の勉強よりも今自分に必要なことだと確信していた。
僕はオレンジのモンベル45ℓバックパックに必要だと頭に思い浮かんだものをすべて詰め込み始めた。

・・・

   8月25日翌日、気づけば昼を回っていた。パッキングを深夜に終えた僕は小学校からの旧友マッティに急いでLINEをし、共に自転車でスシローへと向かう。
牛肉塩カルビ寿司(邪道)を美味い美味い言って食べる彼とは違い、僕は生魚、光り物の皿を取った。
東南アジアで生魚を食べるなんてことは決してないだろう、と思ったから。
でも海外に行く前でも行った後でも寿司がどうしても食べたくなるのはどうしてなんだろう。

一度バックパックを取りに家に寄ると、父と高校生の弟が帰っていた。
弟は僕に「お土産よろしくな」 と言い残し、父は僕を駅まで送ってくれた。
車の中での会話は全くなかった、でも降りる時に「生きて帰ってこいよ」と言って父は自分の財布から7000円を渡してくれた。航空券、保険、全て旅の経費は自分持ちだったけどこの時は好意としてありがたく受け取った。

f:id:shubackpack:20161230235554j:plain

    改札に行くとマッティが待っていた。
彼はテントを持って3週間で47都道府県の半分をカブで回った。(考えてみれば彼が旅に出る時も俺が見送ったんだなぁ笑)

特急成田空港行きの電車の中で僕は薬、パンツ、使う予定だったベトナムのドン紙幣の束などなどなどを忘れたことに気づき
3週間半を全財産5万円でやりくりしていけるだろうか。 俺本当にマレーシアに行くんだよなぁ…と成田空港に近づくにつれて不安な気持ちはドンドンドンと心臓の鼓動とともに大きくなった。

フライト約2時間前に成田空港第二ターミナルに着き(予想外だけど予定通り)、僕よりも彼の方が興奮していた。

f:id:shubackpack:20161231003609j:plain

f:id:shubackpack:20161231003653j:plain

マックに行き僕はアイスティーSとアイスコーヒーSを注文し、コーヒーをマッティにあげた。(この時のティーの味はまるで水のように感じたし、飲むのに15秒もかからなかった)

時間をつぶした後、彼はムヒとセルフィースティックを貸してくれた。

f:id:shubackpack:20161231004146j:plain「まぁ楽しんでこいよ!」彼はニヤニヤしながら言った。
「おう!」そして僕は緊張感とともにチェックインカウンターへと向かった。